新白岡駅で子どもを降ろすために車を止めようとした所、おじいさんが雨水桝に何かを投げました。雨水桝に入ったものは、タバコです。灰皿がないところでの喫煙も問題だと思いますが、雨水桝は灰皿ではありませんね。
一昨日は、小学校から出てきた親子が横断歩道ではない場所を渡る光景をみかけました。授業参観の後なども以前からこのような光景を見ることが多く、非常に残念に思っています。
立哨当番として毎朝、保護者が交代で子ども達の見守りを行っても
交通指導をしても、信号を守らない大人の姿をみせる。
親が子どもと手をつなぎ校門前の横断歩道のない道を渡らせる。
このような大人の行動から、子ども達は何を学ぶのでしょうか。
道徳を教えるのは、学校教育でしかできませんか?
教科で教えて評価しなければ子ども達の道徳心は養われないものなのでしょうか。
子育ての中では、例えば
”このチューリップ可愛いね”
見ているお花がチューリップである事、そして心で感じた事を
言葉にして子ども達に教えていきますね。
”お友達には優しくしないと”
この言葉もよく聞かれる言葉です。
でも、優しさは”優しくしよう”と思うから優しくなれるのではなく
優しくしてもらった経験があるからこそ、感じ取れる感情であり
自然に出てくるものだと思うのです。
優しい人になって欲しければ、人の優しさに触れる経験をたくさん出来る環境で育つことが一番だと思いますし、
道徳心のある子ども、大人になって欲しいと願うのであれば
学校教育の前に、私たち大人が日常生活の中で裏切ることなく
見せてあげることだと思います。
家庭の中でも同じで、子どもに要求するのに自分は出来ているのか?
こんな振り返りで過ごした雨の一日でした。