「子どもだけでの登下校禁止条例」と別の名前で各種報道がされてしまうほど、自民党県議団が提出した虐待禁止条例の改正は、全国的に大きな話題となっています。
10月6日。この条例が審議される委員会の傍聴に行ってきました。
提案者の答弁を簡単に言うと、”条例改正案を作って可決するから、執行部は、具体策を講じて上手く運用してね。可決した後は、一切タッチしないよ”私にはそう取れる内容でした。
例えば、”保護者は経済的負担が増してしまうがそれをどう考えるか”と言った質疑に対し、
”保護者の経済的負担よりも子どもの視点にたち、子どもの安全確保を最優先にすべきと考える。経済的負担にならないよう環境を整備することが大切だと考える” みたいな感じで。
とにかく、具体的な質疑には全て”運用は執行部であり、そのような体制の強化を図るべきだと考える”みたいな答弁。丸投げですか?というものでした。
継続審議動議、さらには修正動議も出されましたが、いずれも否決。そして、地元選出の渡辺聡一郎議員も原案に賛成し、賛成多数で可決されました。
委員会の前日、そして昨日と渡辺県議にお電話をしても繋がらず、留守電に残しても折り返しもありません。
この条例が可決されれば、一人の児童に対し一人のベビーシッターが必要になるぐらいの施策が必要になるので、白岡市の予算にも大きく関係してきます。また、白岡市民の生活にも様々な影響が出ることから、渡辺県議とお話がしたかったのですが・・・。どうやら私は市民ではないようです。
そして、私がこの条例改正に反対している最大の理由は、家庭で虐待を受けている児童の事は一切、議論にならなかったからです。すぐに駆けつけられなければ放置とみなし虐待になってしまうこの条例は、言い換えれば保護者と児童は常に一緒にいるということになります。
虐待を受けている児童にとっては地獄です。
本当に保護者といれば子どもの安全は確保されるのでしょうか?
それであれば、なぜ保護者からの虐待により命を落とす子どもが後を絶たないのですか?
虐待は家庭内で起きているのです。
コロナ渦、テレワークになったり、学校が休校になった事で一番に心配されたのは虐待の増加でした。その事実は無視ですか?
残念ながら、その視点は全くありませんでした。
その視点が抜けることにより、本来救わなければならない児童が救えなくなってしまうのに。
児童だけの登下校、児童だけで公園で遊ぶこと、児童を家に残し回覧板をまわしに行ったり、ゴミ捨てに行くこと。これ、全て放置=虐待です。熱を出していても、児童を連れて買い物に行かなければならないなんて。
この条例改正は、本当に必要ですか?
採決は13日です。
この日までに、市議として出来ることをいたします。
なお、本来の主旨と報道されている内容が乖離しているという様なことを主張される議員もおられるようですが、傍聴した私だからハッキリとわかります。
報道各社はその日の事実を伝えています。